第94回幹部育成セミナー

「選ばれる理由」はどうつくられるのか?
─時代の心理・文化とことばの力─

日本ホテル協会は、2026年7月15日、16日の2日間にわたり、会員ホテルの幹部職員を対象とするセミナーを京王プラザホテルで開催しました。プログラムの中から、松井剛氏(一橋大学経営管理研究科教授)による「『選ばれる理由』はどうつくられるのか?─時代の心理・文化とことばの力─」の内容をレポートします。

第94回幹部育成セミナーの様子

ことばが生み出した新しい市場

マーケティングにおいて、ことばはどんな役割を果たすのか。たくさんの商品の中から「選ばれる」ためには、どのようなことばが必要なのか。『ことばとマーケティング』(碩学舎)などの著書もある経営学者・松井剛氏を講師に迎えたセミナーは、ことばが「市場を創る」仕組みについての解説から始まった。

「市場を創ることば」として、松井氏が例に取ったのは100年ほど前のアメリカで人気を呼んだ、あるマウスウォッシュの広告だった。ポイントは「口が臭う」という症状を指すことばとして、「ハリトシス(口臭)」という医学用語を初めて使用したこと。それによって製品は大ヒット、のみならず「朝起きたらマウスウォッシュを使う」習慣がアメリカ人の間に定着し、「ハリトシス」ということばそのものも一般化していくことになった。「ハリトシス」ということばが「口臭予防」という新しい市場を創り出したのだ。

「言い換えれば、消費者とマーケティングを、ことばが媒介してつないだということ。消費を通じて実現する価値を提案するためには、何らかの形で言語化をしなくてはならないのです」と松井氏は述べた。

日本でも、同じような例がある。「加齢臭」だ。2000年ごろからメディアで取り上げられるようになったことばだが、もちろん、それまで中高年の体臭が存在しなかったわけではない。ただ、当たり前のものと思われていた臭いが「加齢臭」ということばによってカテゴライズされ、「良くないもの」というラベルが付けられたことで、「対処すべき問題」として受け止められるようになった。そこから、「加齢臭に効く」などとうたう商品が多数売り出され、新たな市場が生まれてきたわけだ。

松井剛氏が講演する様子

「市場を創ることば」の条件とは

松井氏によれば、こうした「市場を創ることば」には4つの類型があるという。「Z世代」「○○界隈」など、ある一部の人たちを指す〈呼称〉、「○○活」「墓じまい」「デジタルデトックス」といった〈行為〉、「睡眠負債」「ヘッドホン難聴」といった〈脅威〉、そして「リカバリーウエア」「町中華/ガチ中華」といった〈カテゴリー〉だ。

ただ、もちろんこの4類型に当てはまることばがすべて「市場を創る」わけではない。そこにはどんな条件があるのか。松井氏は続いて「市場を創ることばの創り方」について解説した。

一つ目の条件は、〈「兆し」をつかむ〉。単なる思いつきではなく、そのことばの背後にきちんとした「実態」がなくてはならないという。

例えば、2000年代後半に「女子会」ということばが生まれ、それまでどちらかといえば年配男性向けのイメージが強かった居酒屋などでも「女子会プラン」が組まれるようになった。これも、背後に「実は女性同士の集まりでも居酒屋は使われている」という、調査に基づいたファクトがあったからこそ成功したのだという。

「逆に、例えば『イクメン』ということばを、『男は外で稼ぎ、女は家を守る』ことがまだまだ当たり前だった1980年代に掲げたとしても、今ほど広まるのは難しかったでしょう。そんなふうに、実態に合わせたことばを選ぶ必要があるわけです」

二つ目は〈二項対立〉を用いて、日常会話の中で使われやすいようにすること。「勝ち組/負け組」「陽キャ/陰キャ」などが分かりやすい例だ。そうした二項対立の構図を用いることで、何げない会話の中で話題にされやすく、メディアにも取り上げられやすくなる。「マイルドヤンキー」「食べるラー油」というように、普通ならつながらない、互いに矛盾したことばをつなげたワードも、耳に残りやすい。

三つ目は〈既にあることばに乗っかる〉。人は、知らないものに出合ったとき、それを自分がすでに知っているものを手がかりにして理解しようとする傾向がある。だから、まったく新しいことばよりも、すでに知られていることばを少し改変したことばのほうが理解されやすいのだという。「就活(就職活動)」ということばが一般化した後で登場し、あっという間に広まった「終活」はその好例といえるだろう。

そして四つ目は〈ことばに「すきま」をつくる〉。論理立てた完璧なことばよりも、やや崩れた「隙のあることば」のほうが、SNSなどでいじられ、広がる可能性があるのだという。

セミナーで講演する松井剛氏

ことばが商品に「選ばれる理由」を与える

では、こうした「市場を創ることば」を、旅行業界やホテル業界ではどう生み出していけるのか。松井氏は「旅に出る理由、ホテルを利用する理由をどう言語化するか?」と書かれたスライドを示した。

顧客が今、何から離れ、何を取り戻したいのか。旅先やホテルで、どのような時間を過ごしたいのか。ポイントになるのは、そうした顧客の欲求を「簡単に検索できて人にも話したくなる」ことばで表せるかどうかだという。

例えば、コロナ禍を機に広まった「ワーケーション」は、「仕事と旅行を一緒にしたい」という顧客の欲求を言語化したことばだといえる。それによってホテルの定義は、単なる「宿泊する場所」から「働きながら滞在する場所」へと広がった。近年人気の「グランピング」も、「自然は楽しみたいけれど、設営や衛生面の不安は避けたい」という欲求を言語化し、「アウトドアは大変」という常識を転換させることで、従来のキャンプとは異なる新しい宿泊カテゴリーを創造したことばだといえるだろう。

「そのように、ことばは商品やサービス、体験に、新しい『選ばれる理由』を与えるものです。ことばに敏感になることで、まだ見えていない顧客の欲求、そして新しい市場が見えてくるのではないかと思います」。松井氏はそう講演を締めくくった。ホテルという空間に、どんなことばで新しい「選ばれる理由」を与えていけるのか。さまざまな可能性が見えた1時間半だった。

取材・文/仲藤里美
(2026.08 Vol. 757)

肖像
Profile

松井剛(まつい・たけし)
一橋大学経営管理研究科教授。2000年、一橋大学商学研究科博士後期課程修了、博士(商学)。2007年から2009年までプリンストン大学社会学部客員フェロー(2007年から2008年にかけて安倍フェロー)、2018年より現職。2021年より東京工業大学(現・東京科学大学)エネルギー・情報卓越教育院教授を併任。2022年から2023年にかけてニューヨーク大学社会学部客員研究員、ハーバード燕京研究所客員研究員。主な著作は『ことばとマーケティング:「癒し」ブームの消費社会史』(碩学舎、2013年、日本商業学会奨励賞)、『アメリカに日本のマンガを輸出する:ポップカルチャーのグローバル・マーケティング』(有斐閣、2019年)など。文化社会学の観点から消費文化現象に関する各種研究を行っている。