日本人シェフとして初めてフランスでミシュランの一つ星を獲得し、日本のフランス料理界を牽引してきた中村勝宏シェフ(日本ホテル株式会社 特別顧問 統括名誉総料理長)。本書には、半世紀以上にわたり料理と向き合う中で見つめ続けてきた「食」の本質が綴られています。本に込めた思いや、料理人としての哲学について伺いました。

料理人としての礎を築いたフランスでの日々
──『人生を旅する料理人』は、中村シェフの料理人としての歩みや人生観が綴られた一冊です。交通新聞での20年にわたる連載を中心にまとめられたそうですが、出版のきっかけを教えてください。
今から6、7年ほど前に、これまでの連載を読み返す機会があったのですが、自分自身の歩みの記録であることをあらためて実感し、「いつか一冊の本にまとめられたら」という思いを抱くようになりました。ただ、出版不況と言われる時代ですから、実現はなかなか難しいだろうとも感じていたのです。
そんな折、ありがたいことに書籍化のお話をいただきました。そこで、過去のすべての原稿をあらためて読み直し、本に掲載する内容を選んで、章立ても自ら考えました。料理の話を軸にしながら、国内外での活動やその時々の時代背景も織り込み、できるだけバランスよくまとめたい──そんな構想を練りながら加筆と修正を重ね、およそ1年をかけて形にすることができました。
──本書にはさまざまなエピソードが登場しますが、なかでもフランスでの日々は、中村シェフの原点ともいえるご経験ではないでしょうか。1970年に渡仏された当時のことをお聞かせください。
ちょうど大阪万博が開催されていた頃に、フランスへ旅立ちました。当時のフランスは「第二のベル・エポック」とも呼ばれる活気に満ちた時代で、食文化も大きな発展を遂げていました。私は26歳。料理人としてはまだまだ修業の身でしたが、振り返れば、非常に恵まれた時期にフランスへ渡ることができたと思います。
フランスには13年半滞在し、各地のレストランで経験を積みました。二つ星、三つ星の名店には世界中のVIPが訪れ、厨房は常に緊張感に包まれていました。また、フランスにはミシュランをはじめ数多くのレストランガイドがあって、料理評論家たちが店を訪れては署名入りの批評コラムを発表します。いつ、誰が評価に来ているのかわからない。そんな環境の中で日々仕事に向き合っていました。
日本人シェフとして初めて星をいただいたときは、もちろん大きな喜びを感じました。でも同時に、星を守り続けることの重圧も痛感しました。評価を得る喜びと、それを維持し続けなければならない責任。その両方を背負いながら厨房に立っていたように思います。
──フランスでのご経験で、その後の料理人としての歩みに影響を与えたのは、どのようなことでしょうか。
もう、すべてと言ってもいいかもしれません。フランス料理を本当に理解するには、パリにいるだけでは足りません。フランスは六角形の国土を持つ国ですが、地方ごとに独自の郷土料理が根づいています。四季によって使われる食材もさまざまですから、実際にその土地で暮らし、季節ごとの食材に触れ、地元の人たちと交流する中で、ようやくその土地の文化が見えてくるのです。
常連のお客様は料理だけでなく、シェフとの会話も楽しみにされています。歴史や風土への理解がなければ、そうした会話は成り立ちません。振り返れば、私自身、多くのお客様との出会いを通して教えられ、支えられてきました。料理人は、お客様によって育てられる存在なのだと思います。その考えは、日本に戻ってからも変わっていません。
──本書では、2008年の北海道洞爺湖サミットで総料理長を務められた際のお話も、とてもドラマチックに描かれています。相当なご苦労があったのでは。
本番を迎えるまでは、あまりの大変さに「今からでも逃げ出せないだろうか」と思うこともありました(笑)。料理は食材を相手にする仕事であると同時に、人を相手にする仕事でもあります。私一人の力では到底不可能ですから、サービスやソムリエをはじめ多くのスタッフが一丸となって動けるよう、全体をプロデュースしなければいけません。当の本人は、まさに「のたうち回る」ような毎日でした。
各国のVIPをお迎えするに当たり、料理人が圧倒的に不足していたのですが、窮地を救ってくれたのは、かつての部下や個人的に親交のあった名だたるホテルのシェフたちでした。本番期間中は地下の仮眠室で寝泊まりし、深夜まで働いては早朝から厨房に立つ日々。新聞を読む時間もなく、サミットの動向すら分からないほどでした。それでも、大きなミスなくやり遂げることができたのは、素晴らしい仲間たちの力があったからこそです。終わったときは、ただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。
あらためて実感する一食一食の大切さ
──被災地でのボランティアや国際連合食糧農業機関(FAO)の活動など、料理人の社会的役割についても言及されています。
フランスでは食文化に対するリスペクトが非常に高く、二つ星、三つ星のシェフともなると、知事や警察署長といった地域のリーダーたちと対等に意見を交わします。料理人も、社会の一員として地域にどう貢献できるかが常に問われる存在なのです。私もその考え方に強く影響を受けて、日本に帰国してからも、社会貢献につながるお声がけをいただいた際には「できる限りすべて受けよう」と決めて行動してきました。
──現在、特に関心を寄せられている社会課題は何でしょうか。
やはり料理人として、「食の安全保障」には強い関心を持っています。現在、日本のカロリーベースの食料自給率は約38%。この数字には、現在さまざまな厳しい状況が続いている中で大きな危機感を抱いています。原材料価格の高騰や物価上昇が続くなか、台風や洪水などの自然災害によって作物が一瞬で失われることもあります。世界全体では人口が増え続けており、この先どう食料を賄っていくのか、真剣に向き合う段階にきていると感じます。
──これからの料理界を担う若い世代へ、最も伝えたいのはどのようなことでしょうか。
「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、若いうちにしっかりと基本を学び、自分のものにすることが何より大切だと思います。本の中で「一皿の料理にはその人となりが盛り込まれている」と書きましたが、良い料理というのは、基本をベースにその人の個性がしっかり表現されており、見ただけで凛とした品格が漂っているものです。それは一朝一夕で開眼するものではありません。料理には、その人がどのように学び、どのように生きてきたかが自然と表れるのです。
──本のサブタイトルにある「『食べ物』を作る事の先にあるものとは」という問いについて、中村シェフご自身はどのような答えにたどり着いたのでしょうか。
実は、その答えはまだ見つかっていません。これからも永遠に追い求めていくテーマなのだと思います。フランスの法律家であり美食家でもあったブリア=サヴァランの名著『美味礼讃』には、食べることがいかに精神的な営みであるかが説かれています。私自身も、食べることは単に空腹を満たすためだけのものではなく、人がまっとうに生きる上で大切な意味を持つ行為だと感じています。
若い頃は、美味しい料理を作ることに夢中でした。でも、年齢を重ねるにつれ、料理には人の喜びや悲しみ、人生そのものが深く関わっていることを実感するようになりました。だからこそ今は、料理を作ることの奥深さに、ある種の畏敬の念さえ抱いています。
人生における食の場には、お祝いの席もあれば、悲しい場合の席もあります。その折々に、その人の人生が映し出されていると言ってもいいかもしれません。80歳を過ぎた今、私はますます一食一食の大切さを感じています。皆さんにも、ぜひ日々の食事と丁寧に向き合ってほしいと願っています。生きることは、旅を続けることそのもの。私もこれから先、食を通して、できるだけ豊かな旅を続けていきたいと思っています。
DATA
『人生を旅する料理人』
(中村勝宏 著/キクロス出版/2700円+税)

中村勝宏 日本ホテル株式会社 特別顧問 統括名誉総料理長
1944年鹿児島県生まれ。高校卒業後に料理界に入り、1970年に渡欧。フランス各地のレストランでプロの料理人として活躍。1979年にパリの無名レストラン「レストラン・ラ・カンティーヌ・グルメ」のグランシェフになるや評判店に押し上げ、日本人として初めてミシュランの一つ星を獲得。1984年に帰国し、ホテルエドモント(現 ホテルメトロポリタン エドモント)のレストラン統括料理長となる。1994年、常務取締役総料理長に就任し、現在は日本ホテル株式会社特別顧問統括名誉総料理長。2008年の北海道洞爺湖サミットでは総料理長として、各国の要人はもちろん、随行員含むすべての料理を指揮統括した。2016年、フランス共和国農事功労章コマンドゥール叙勲。2017年〜2025年、日本初の国際連合食糧農業機関(FAO)親善大使を務めた。2019年「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」選手村メニューアドバイザリー委員会委員に就任。
取材・文/編集部
(2026.06 Vol. 756)