メディアレビュー ホテルを識る本

時代を超えて受け継がれる
「海の幸フランス料理」の系譜

志摩観光ホテルの歴史を彩ってきた料理の数々。その一皿一皿に込められた想いや生産者との物語を、第七代総料理長・樋口宏江シェフが一冊の本に結実させました。本書に込められたメッセージや、その先の未来について伺います。

木目の床に置かれた料理本の表紙。黒地に伊勢海老料理の写真と「自然への想いを繋ぐ皿」「『海の幸フランス料理』の伝統と未来」「志摩観光ホテル総料理長 樋口宏江」「柴田書店」の文字が記されている。

色とりどりの79皿に込められた想い

──志摩観光ホテルの食の魅力が存分に詰まった『自然への想いを繋ぐ皿「海の幸フランス料理」の伝統と未来』。この本を出されたきっかけをお聞かせください。

私たちのホテルには、第五代総料理長・高橋忠之シェフが築き上げ、長年にわたって受け継がれてきた「海の幸フランス料理」という伝統があります。さらに近年は、地元の豊かな食文化を未来へつなぐ取り組みとして、「伊勢志摩ガストロノミー」にも力を注いできました。この海の幸フランス料理を次の世代へと継承し、伊勢志摩ガストロノミーの魅力をより多くの方に知っていただきたい──。そんな想いを抱いていた折に、出版のお話をいただき、このような機会に恵まれることになりました。

──本書には79品という多くの料理が収められていますが、この構成にはどのような意図が込められているのでしょうか。

私たちの料理は、地元で育まれた素晴らしい食材や生産者さんとのつながりから生まれています。これまでご縁をいただいた方々の食材を、できるだけ多くご紹介したいという想いが、まずありました。食材にはそれぞれ旬がありますので、四季折々の料理を作り、約二年かけて撮影していただきました。その積み重ねが79品という数につながっています。掲載しているのは、先々代から今も作り続けている伝統的な料理のほか、朝食の卵料理やランチでご提供している海の幸カレーなども含まれています。ホテルの滞在を通して体験していただける「食」の全体像を、できるだけ網羅してお伝えしたいと考えました。

──料理の作り方まで詳細に掲載されています。同業のシェフからは驚きの声もあったのでは?

仲間のシェフから「こんなに載せて大丈夫なの?」と言われることもありましたが(笑)、志摩観光ホテルの歴代のシェフがそうであったように、私たちも料理のルセットを隠さず伝えるという姿勢で育ってきました。本書には、実際に私たちが作っている分量や工程をそのまま掲載しています。なかにはご家庭でも挑戦していただける料理もありますので、ページを繰りながら、「作ってみたい」「味わってみたい」と感じていただけたらうれしく思います。

──今回紹介されている料理の中で、特に思い入れのある一皿はどれでしょうか。

どの料理にもそれぞれ大切な想いがありますが、あえて挙げるとすれば、表紙に選んだ伊勢海老の料理でしょうか。地元の柑橘農家さんとのご縁から生まれた料理で、志摩観光ホテルの伝統食材である伊勢海老と、新たな出会いによって得られた食材が一皿になっています。伊勢志摩ガストロノミーを象徴する料理と言えるかもしれません。

──本書の中で「『伝統のおいしさ』とは過去のものではなく、今のおいしさ。だから攻める気持ちで守り、さらに前へと進める」と書かれているのが印象的でした。樋口シェフは、伝統を守り、次の世代へつないでいくことについて、どのようにお考えでしょうか。

今も残っている料理というのは、過去に考案され、時代を超えて作り続けられてきたものです。それはやはり、おいしくて、理にかなっているからこそ、淘汰されずに残ってきたのだと思います。その価値をきちんと受け取り、守っていくことはとても大切です。その上で、「ここからさらに発展させられることはないか」と考えることも必要だと感じています。自分が受け取ったものを次世代へと手渡し、そこからまた新しい料理へと挑戦してくれたら、料理人として何よりうれしいことです。私自身も、まだ挑戦の途中にいると思っています。

未来へつなぐ伊勢志摩ガストロノミー

──あらためて、この本を通じて伝えたかったことを教えてください。

志摩観光ホテルは、今年で開業75周年を迎えます。その長い歴史の中で代々受け継がれてきた料理があります。そうした料理とともに、そこに込められてきた「料理に向き合う姿勢」や「考え方」を伝えたいと思いました。

料理は食べてしまえば形としては残りませんが、書籍という形であれば、「なぜこの一皿が生まれたのか」「どんな想いが重ねられてきたのか」を写真や言葉で残すことができます。それは、とても意味のあることだと感じています。

──生産者との関わりや「伊勢志摩ガストロノミー」という考え方も、本書の大きな軸ですね。

料理は、食材があってこそ成り立ちます。その食材がどのように育てられ、どんな想いで作られているのかを知ることで、料理への向き合い方も変わります。伊勢志摩ガストロノミーという考え方も、もともとは地元の食材を大切にするという伝統から生まれました。名前がついたことで思想がより明確になり、取り組みが加速していったと感じています。この本も、その想いを伝え、未来へつないでいくための大切な役割を担っています。

──最後に、読者の皆さんへメッセージをお願いします。

この一冊には、志摩観光ホテルが大切にしてきた伝統と、これから挑戦していきたい未来への想いが詰まっています。本書をきっかけにこの土地を訪れ、季節ごとの食材や料理を味わっていただけたら。これ以上の喜びはありません。私自身もまだまだ挑戦したいことがたくさんありますので、いただいたご縁を大切にしながら、より多くの方に楽しんでいただける料理を、これからも模索していきたいと思っています。

DATA
『自然への想いを繋ぐ皿「海の幸フランス料理」の伝統と未来』
(樋口宏江 著/柴田書店/3800円+税)

白いコックコートとコック帽を着用し、正面を向いて微笑む立ち姿。志摩観光ホテル総料理長の樋口宏江シェフ。
Profile

樋口宏江 志摩観光ホテル 総料理長
三重県出身。1991年志摩観光ホテル入社、2008年フレンチレストラン「ラ・メール」のシェフとなる。2014年、第七代総料理長に就任。2016年、G7伊勢志摩サミットでワーキングディナーを担当し各国首脳に料理を提供。農林水産省料理人顕彰制度料理マスターズ「ブロンズ賞」「シルバー賞」、「フランス農事功労章シュヴァリエ」、文化庁長官表彰など顕彰多数。2023年、G7三重・伊勢志摩交通大臣会合において「大臣主催晩餐会」「ワーキングランチ」を担当。

取材・文/編集部
(2026.02 Vol.754)