令和8年春 褒章受章者インタビュー

ホテルという「街」をチームでつくる喜び

黄綬褒章 業務精励(調理業務)

太田 明さん

(株)パレスホテル パレスホテル東京
調理部 副総料理長

肖像

──黄綬褒章受章、おめでとうございます。今のお気持ちをお聞かせください。

ありがとうございます。まさか自分がこのような栄誉をいただけるとは思っていませんでしたので、驚いたというのが率直な気持ちです。私は18歳で兵庫県から上京し、以来ずっと東京で仕事を続けてきました。長男でしたので、本来なら側で両親を支えるべきだったのかもしれませんが、十分に親孝行ができたとは言えません。今は二人とも他界しておりますので、この報せを直接伝えることは叶いませんが、きっと喜んでくれていると思います。

──料理の道を選ばれたのは、海外への憧れがあったからだそうですね。

はい。学生時代はバンドを組んでいて、ミュージシャンを夢見ていた時期もありました。ただ、進路を考える上で私が重視したのは、「どんな仕事に就きたいか」ということ以上に、「将来どんな生活を送りたいか」ということでした。いつか日本を出て海外で働いてみたいという思いがありましたので、それが実現できる仕事は何だろうと考えたとき、料理の仕事なら世界中どこへ行っても通用するかもしれないと思ったのです。

──当初はホテルではなく、街場のレストランを志望されていたとか。

当時はポール・ボキューズ氏のような世界的なシェフに憧れ、東京のレストランを見学して回っていました。その帰りに、たまたまパレスホテルで調理の仕事をしている遠い親戚を訪ねる機会がありました。ちょうどバブル絶頂期という時代背景もあり、「料理を一生の仕事にするなら、生活の基盤が安定していて、多くのチャンスがあるホテルがいいのではないか」と強く勧められました。それまでホテルという選択肢はまったく考えていなかったのですが、その1週間後、「料理人になるなら今すぐ東京に来い」とあらためて連絡をいただき、思い切って挑戦してみようと決心したのです。

──その後、パレスホテルに入社され、念願叶って海外に行くチャンスをつかまれました。

入社して10年ほど経った頃、パレスホテルグアムが開業することになり、オープニングスタッフとして赴任しました。300室以上を擁する、当時のグアムでも最大級のホテルです。若さもあり、バイタリティだけは誰にも負けないという気持ちで現地に乗り込みました。

しかし、現実にはさまざまな壁がありました。まず驚いたのが、食材の確保です。島内で調達できる海産物や野菜だけではホテルの需要をまかなえず、多くをアメリカ本土から船便で取り寄せるのですが、到着する頃にはすっかり鮮度が落ちている。トマトなどは、納品された時点ですでに傷み始めている状態です。返品しても、代わりに新鮮なトマトが入ってくるわけではありませんから、「このトマトをどう美味しく料理するか」「フレッシュトマトに頼らないメニューをどう組み立てるか」といった発想が求められました。

さらに、現地スタッフの中には包丁を握った経験のない人も多く、そこに、言葉の壁もあります。最初は身振り手振りを交えながら、一つ一つじっくり仕事を教えていきました。指導の面でも、日本とは異なる文化に直面しました。当時の日本ではまだ一般的ではなかった、「人前で大声で叱らない」「注意は個別に行う」といった考え方に触れ、価値観の違いを実感したものです。

──開業まで、さまざまなご苦労があったのですね。

開業直前には建物が倒壊するほどの巨大台風に見舞われ、オープンが延期になるハプニングもありましたが、スタッフの尽力もあり、無事に開業の日を迎えることができました。振り返れば、想像を超える困難の連続でしたが、不思議と当時は毎日が楽しくて仕方なかったです。言葉が通じないもどかしささえ、前向きに挑戦すべきこととして受け止めていました。

このグアムでの3年半の経験を通じて、「今起きている良くない出来事にも、きっと何かしらの意味があるはずだ」と考え、自分なりに前向きな解釈へと転換する習慣が身についたように思います。そのポジティブな思考は、その後のシェフ人生を支える大きな柱になっています。

──お仕事のモットーを教えてください。

「来た仕事は断らない」ということです。誰かが仕事を託してくるということは、「あなたならできる」と信頼していただいている証だと思っています。できない仕事は、そもそも自分のところには来ない。そういう感覚があります。その信頼にしっかり応えることを大切にしてきました。

──ホテルで働くことの醍醐味は、どのようなことだと思われますか。

ホテルにはレストラン、宿泊、宴会など、さまざまな目的をもったゲストが訪れます。ロビーに足を踏み入れた瞬間に感じるホテル独自の空気感は、訪れるゲストと、それを迎えるホテルスタッフとの関係性によって生まれるものだと思っています。

私は、ホテルとは一つの「街」のような存在だと考えています。料理人としての醍醐味も、単に厨房で一皿を仕上げることにとどまりません。館内のあらゆるセクションの仲間と連携しながら、この「街」のクオリティを支えていくことにあります。時には国賓や各国の要人をお迎えする特別な「街」を、全員でつくり上げていく。その営みに関われることこそが、ホテルで働く大きな喜びだと思います。

──これからホテル業界や料理の道に進みたいと考えている若い世代にメッセージをお願いします。

仕事は楽しんだ方がいいと思います。メジャーリーグで活躍する選手たちも、周囲から見れば想像を絶する努力をしていますが、本人たちはきっと楽しくて仕方がないはずです。大変な日々を「苦痛」と捉えるのか、「成長の種」として楽しむのか。視点が変われば、仕事の質も大きく変わってくると思います。ぜひ、ホテルという「街」での仕事を思い切り楽しんでください。

取材・文/編集部 撮影/島崎信一
(2026.06 Vol. 756)