黄綬褒章 業務精励(調理業務)
岸田 孝美さん
(株)リーガロイヤルホテル広島 鉄板焼なにわ
(元・調理部レストラン料理長兼リーガトップシェフ)

──このたびはおめでとうございます。受章の知らせを聞いて、どのように思われましたか。
身に余る栄誉をいただき、大変光栄に思っておりますが、正直に申し上げますと、私でいいのかなという思いが先に立ちました。高校を卒業して、広島グランドホテル(現 リーガロイヤルホテル広島)に入社したのが1978年。それからもう50年近い月日が経ちますが、私はきっと歩みの遅い料理人だったのだろうと思っていますので。
思えば、小学校を卒業するときに先生から贈られた「牛歩」という言葉を胸に刻み、たとえ歩みは遅くとも、一歩一歩を大切に、着実に前へ進むことを心がけてきた半生でした。焦らず、おごらず、辛抱と努力を忘れずに、日々の積み重ねを大切にしなさいと。先生の教えを守って歩いてきたことの証しがこの栄誉だとすれば、これほどうれしいことはありません。
──いろいろなご苦労があったかと思いますが、若い頃の思い出で心に残っていることはありますか。
初めは右も左もわからずに、言われたことを夢中で覚えるしかありませんでした。その頃はまだ料理人の世界には徒弟制度のイメージがあり、言葉よりも先に手足が飛んでくる中で鍛えられたなどという先輩方の話を耳にするにつれ、恐ろしさを募らせていたように思います。実際にはそんなことはなかったのですが、よほど緊張していたのでしょう。その中で、兄貴のような存在だった2つ年上の先輩に、料理のいろはなど、あれこれ教えてもらって楽しく過ごした時期が今も忘れられずに胸に残っています。
そうこうしているうちに、新人が入ってきて自分も先輩の立場になります。すると、仕事も次のステップに進んだように思え、少しずつ面白くなっていきました。最初に配属されたのは宴会部門で、洗いものや盛り付けなどの初歩的な仕事から始まったのですが、それも次第に任されるようになる。そうすると、一つの宴会が、大小さまざまな仕事のチームワークで成り立つことが見えるようになっていくんですね。ホテルという職場ならではの体験だったといえるかもしれません。
──ホテルで働くことの面白さ、魅力として、他にどんなことが挙げられますか。
入社して数年が経った頃でしょうか、昭和天皇が行幸啓でご宿泊になられたことがありました。私自身は簡単なお手伝いに終始しましたが、それでもスタッフが一丸となって総料理長が考案したメニューのレシピを体現しようと力を尽くした経験は、何ものにも代えがたいものだったと思います。
その頃、宴会部門には、若い料理人の拙い提案にも「やってみなさい」と言ってくれる気風がありました。例えば、家庭的な料理にアレンジを加えてホテル風に変えてみたり、ビュッフェの料理に添える飾り物をあれこれと工夫してみたり。こうしたらお客様に喜んでもらえるだろうか、という若手の発想を大切にしてくれました。
──装飾といえば、世界料理オリンピックで銅メダルに輝いた経験もおありとか。
ドイツのエアフルトで2000年に開催された第20回大会でした。中国地方代表のリージョナルチームとして私を含む4名で出場して、エアフルト大聖堂をモチーフとする展示料理を出品しました。テーマは「革新」だったでしょうか。1年がかりのチームワークが功を奏したのは本当にうれしいことでしたが、半面、その後のプレッシャーがものすごくて、純粋に喜んでばかりもいられなかったのを覚えています。
──その後、2015年にレストラン料理長兼リーガトップシェフに就任されました。料理人として大切にされているモットーはありますか。
美味しい料理を作ることに対して妥協せず、お客様に喜んでいただくことを第一に考える。これは、私が広島グランドホテル時代に師事した物部料理長から叩き込まれた教えです。少しでもその域に近づきたいと願い続け、今もその思いで日々料理と向き合っています。
私は今、リーガロイヤルホテル広島の「鉄板焼なにわ」でお客様の前に立っていますが、お客様の好みに思いをめぐらせて、どんな焼き方でお出ししようかなどと考えながら調理をしています。その思いが伝わったのか、最後に「美味しかった、また来るね」などと言ってもらえたときの安心感、達成感は格別です。そうやって、ひと仕事を終えて家に帰り、奥さんの顔を見る。私の幸せな時間です。
──最後に、次の世代を担う若い人たちへのメッセージを。
子どもたちには、食べることの喜び、料理を作ることの楽しさを知ってほしい。そう思って、司厨士協会の活動の一環として、市内の小学校をめぐる食育の出張授業に参加してきました。今はコロナ禍で中断したままなのですが、リンゴの皮むきや野菜の切り方、オムレツづくりなどを通じて食の大切さを知ってもらう。こうした活動を通じて食に興味を持つ子どもたちが育ち、次代の料理人が生まれてくれたらうれしいと思いますね。
そして、食の世界で働く若い人にはやはり、料理を作ることの楽しさと、お客様に喜んでもらうことの醍醐味を一日も早く実感してほしいと願っています。でも、慌てることはありません。牛でも虎でも羊でもいい、自分のペースで一歩ずつ前へ進めばいいのです。
取材・文/編集部
(2025 7/8/9 Vol. 752)