令和7年春 褒章受章者インタビュー

ゆっくりでも前進すれば必ず道は開ける

黄綬褒章 業務精励(調理業務)

加藤 敏之さん

(株)京王プラザホテル 和食調理統括料理長
(元・調理部副部長兼セントラルキッチン調理長)

加藤 敏之さん (株)京王プラザホテル 和食調理統括料理長(元・調理部副部長兼セントラルキッチン調理長)

──受章おめでとうございます。吉報をどのように受け止められましたか。

京王プラザホテルでの和食調理における初めての受章ということで、身に余る光栄です。私がいただいてよろしいのかと思いましたが、今年89歳で旅立たれた初代料理長の飯田信夫さんが「日本料理の板前は、これからホテルでも幅広く活躍しなければいけない」とおっしゃっていたことを思い出し、日本料理の発展につながるならばとお受けいたしました。

──日本料理に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。

高校時代に寿司屋や鰻屋、天ぷら屋でアルバイトをしていたことがあり、料理は身近な存在でした。あの頃に食べたまかないの味は、今でも忘れられません。ちょうどその頃に手に取った雑誌に炊き寄せの写真が掲載されていて、一瞬で心を奪われました。季節の素材を生かした美しい一皿で、日本人が持つ季節への繊細な感性が見事に表現されていたのです。そこから、日本料理への興味が一気に深まっていきました。

──1980年に京王プラザホテルに入社され、念願の日本料理の道へ進まれました。

私は東京育ちで、まだ新宿に高層ビルがほとんどなかった時代の景色をよく覚えています。そんな中、京王プラザホテルは新宿副都心開発の先駆けとして開業し、大きな存在感を放っていました。私も和食の料理人になるという夢を抱き、その舞台で腕を磨きたいと考えたのです。

当時は、魚一匹を捌くにも若手の間で「誰がやるか」と競争になるような環境で、私はいつも最後になってしまい、先輩に怒られることもしばしばでした。仕事が終わるとよくお酒の席に誘っていただき、厨房では聞けない料理の話や先輩たちの料理にかける熱い思いに触れたことが大きな学びになりました。後になって「断らなかったのはお前だけだった」と言われたことが印象に残っています。実は当時、お酒はあまり得意ではなかったのですが、そうした時間こそかけがえのない思い出になっています。

──これまでのお仕事で印象に残っているエピソードを教えてください。

「天麩羅〈しゅん〉」というレストランで料理長を務めていたときのことです。ある夜、女性二人のお客様がいらっしゃいました。お一人は日本人で、25年以上アメリカに住んでいて久しぶりに日本に帰国されたとのこと。もう一人はアメリカ人のご友人で、私はときに英語でやりとりをしながら天ぷらを揚げていました。その日本人の方が帰り際に、「本当に頑張ってくださいね。これは日本の文化そのものです。旬の食材をこんな形でいただけるのは素晴らしいこと。途中で辞めるなんて言わずに、これからもずっと続けてください」と声をかけてくださったんです。初めてお会いした方なのに、そんなふうに励まされて、本当にうれしかったですね。そのときあらためて「日本料理ってすごいんだな」と実感しました。

──お仕事をする上で心がけているのはどんなことでしょうか。

私はこの仕事をよくオーケストラに例えるのですが、指揮者がいて楽譜があり、各パートが一つになって初めて一つの音楽になるように、厨房やホールなどに関わる全員が一体となることが何より大事だと思っています。お客様にご満足いただくためには、スタッフ同士の連携や空気づくりが極めて重要です。困ったときに誰にも相談できないような職場環境はつくりたくありません。年齢や立場に関係なく、誰もが安心して声を上げられる、そんな職場づくりを推進することも私の役割だと考えています。

──ホテルで働くことの喜びは、どんなところにあるのでしょう?

さまざまなジャンルの料理人と連携できるのは、ホテルならではの魅力ではないでしょうか。自分たちにない仕事の進め方や発想に触れることはとても刺激的で学びが多く、実際に洋食のアイデアを和食に応用するなど、柔軟に新しい発想を取り入れてきました。また、当ホテルでは海外の要人をお迎えする機会も多く、緊張感とともに、大きなやりがいを感じる場面にも多く恵まれています。

──これから力を入れたいことは、どんなことでしょうか。

これからも続けていきたいのは、日本各地の生産者から上質な食材を仕入れて、お客様に喜んでいただけるお料理を提供することです。2005年に「和食〈かがり〉」がオープンした際には、従来の枠組みにとらわれずに生産者から直接仕入れる仕組みを構築することができました。当時の店名は「新和食〈かがり〉」だったのですが、「新和食」とは「真(まこと)の和食」であると解釈しています。現地に足を運び、漁師さんや農家さんと信頼関係を築きながら、本当に良いものを選び抜く。そんな姿勢を追求していきたいですね。

私は、ウサギとカメの話でいえば「のろまなカメ」でしたが、ゆっくりでもあきらめずに前に進めば、必ず道は開けます。ぜひ若手の料理人の皆さんにも、少しでも前進することを怠らず、小さな挑戦を積み重ねてほしいと願います。

取材・文/編集部
(2025 7/8/9 Vol. 752)