ホテルとアートの出会い

グランドホテルの思想を原点に
アートを通して地域の魅力を発信

ホテルアークリッシュ豊橋

夜景を望む高層階ラウンジで、中央に暖炉を配し、ゆったりとしたソファやチェアが並ぶホテルアークリッシュ豊橋のくつろぎの空間

ホテルは地域の「リビングルーム」

ホテルアークリッシュ豊橋の建設が計画されたのは、豊橋駅前の大型百貨店跡地の有効利用が話し合われる中でのことだった。新幹線が停まる豊橋駅が市の玄関口なら、駅前はまさに、豊橋市を中心とする東三河地域全体の「リビングルーム」。地域の発展のために、そこをどう再開発すべきか、どういうホテルを建てるべきか、まちを挙げて話し合った。

2008年9月、ホテルアークリッシュ豊橋開業。東三河のリビングルームとして、まず考えたおもてなしが、徹底的に地産地消にこだわった食事だった。現在では数十もの地元の野菜農家、畜産農家、養鶏場などが、ホテルに食材を供給する体制ができあがっている。農家の人がホテルにやってきて、生産物について説明しながら、お客様と一緒に料理を作る食事会も人気だ。

空間づくりにも、地域に因んだアートや素材を極力取り入れた。例えば、三河木綿。地元の人々が昔から愛用し、やがて日本中に知られるようになったこの美しい民芸布は、小さなフレームとなって、人、まち、文化を紡ぐ交流拠点としてのホテルを象徴している。

「我々のホテルには、地域と無関係なものは一つもないんですよ」と、神野吾郎取締役会長。ホテルアークリッシュ豊橋を運営する株式会社サーラホテル&レストランズの会長であり、株式会社サーラコーポレーションの代表取締役社長兼グループ代表・CEOでもある。

ホテルと駅前の再開発エリア「ココラフロント」の開発には、ごく初期から数多くのアーティストやクリエーターが参加したと、神野会長は語る。ココラフロントとホテルのコンセプト形成を牽引したのは、建築プロデューサーの北山孝雄氏。ココラフロントの新名所の一つとなったガス灯は、空間デザインやインテリアデザインで知られる森田恭通氏が手掛けた。

そして再開発によるまちの変化を撮影し続けたのが、写真界の重鎮で名古屋市出身の長濱治氏。このとき撮影された一連の写真は、変わりゆく豊橋の街並みを記録したアートワークとして、ホテルに展示されている。

壁一面にモノクロ写真作品が展示された空間。写真家・長濱治氏の代表作がずらりと並び、ラウンジ席から鑑賞できる展示コーナー
写真家・長濱治氏の作品がずらりと並んだコーナーは圧巻。

自分の作品が、ホテルの一部になれたらいいね

ホテル内部にもアーティストたちとの関係性はあふれている。

松井守男画伯(1942-2022)は、豊橋生まれの油彩画の巨匠。フランスで活動し、芸術文化勲章とレジオン・ドヌール勲章の両章を、日本人では初めてフランス本国で受章している。長年海外を拠点としてきたこともあって、作品はほとんど日本に存在しないが、ホテルアークリッシュ豊橋では松井作品を随所で目にすることができるのだ。たまたま故郷の豊橋を訪れた松井氏が、「このホテルの一部になれたらいいね」と言ったことから縁が生まれた、と神野会長は言う。

「松井さんは、作品と、それを飾る壁や空間を、全部ご自分で選んだのですよ。とてもこだわりがあったのです。僕も立ち会って、作品を飾る場所を一つひとつ、一緒に決めていきました」

画壇があまり好きではなかったという松井画伯。人々の暮らしや、息づかいがある場所にこそ、自分の作品を置きたいという、そんな思いもあったのかもしれない。

「そうですね、つながりとか、関係性の中に作品を置きたいという気持ちはおありだったのでしょう。『フランス人がパートナーと住むアパートを探すときは、まず美術学校などへ行って、駆け出しのアーティストの作品を買ってくる。そしてその作品に合う部屋を探すんだよ』と、よく言っておられました」(神野会長)

ロビー空間に展示された松井守男画伯の大型絵画作品。石造りの台座と生け花の前に据えられ、抽象的な画面が空間全体に強い存在感を放っている
圧倒的な存在感を放つ松井守男氏の作品。

客室に個性を添える33人のアーティスト

神野会長の話を体現するかのような空間が、15階の「アークリッシュクラブ」にある。ワークスペース、サロン、フィットネスルーム、バーなどを備えた、宿泊客やホテル会員専用のラウンジだが、注目は「ライブラリー」だ。落ち着いた空間にディスプレイされている書物は、すべて神野会長の祖父の蔵書である。ブックディレクターでライブラリーづくりの第一人者、幅允孝(はば よしたか)氏が、神野家の蔵書から一つずつ本を選び、「ある文化人の書斎」をテーマに完成させた、それ自体がアートという空間だ。

『ある文化人の書斎』をテーマに設えられたホテル内ライブラリー。木製書棚に本が整然と並び、ソファやアームチェアが配置された落ち着いた空間
「ある文化人の書斎」をテーマにディスプレイされたライブラリー。

客室にも、それぞれ異なる作品が飾られている。ココラフロントの開発やホテルに関わったアーティスト、クリエーター、デザイナーなど、33人から数点ずつ作品を提供してもらい、各客室に置いているのだ。

「同じ作品は一つもないので、それらが飾られている客室も唯一無二です。ただ、客室はプライベートな空間ですから、作品の主張が強すぎてもいけません。ベッドや家具との調和も考えて配置するようにしました」

誰のどの作品と出会うかは、泊まってみてのお楽しみ。客室に置かれたアートブックを見ながら、自分の部屋の作品を探してみるのも一興となっている。

「ホテルの原点は、ハレの場、おもてなしの場である、いわゆる『グランドホテル』だと思うんです。そこでは人が出会い、新しいビジネスや新しい発想、新しい関係が生まれます。そこは歴史や文化の威信を体現する、『まちの顔』でもあります。だから地方のホテルでは、その地方が誇る要素をどう取り入れるかが重要で、アートはその一つなのです」と神野会長。

ホテルにおける「アート」は、単なる装飾ではない。神野会長の言葉からは、食やアートやサービスを通して、常に地域に向けられたまなざしの温かさが伝わってくる。そこに一本、まっすぐに、地方のホテルとしての矜持が通っていた。

館内廊下に点在する小さな作品と、奥に絵画が展示されたギャラリーのような空間。
客室のベッド背面に、ホテルに関わったクリエーターの小品アートが並ぶ落ち着いた空間。
客室リビングの壁に、アーティスト提供の縦長作品が一点展示された空間。
壁に飾られた、建築図面をモチーフにした作品。

次はどんな作品に出会えるだろうと、泊まるのが楽しくなるホテルだ。

取材・文/田中洋子
(2026.02 Vol.754)

ホテルアークリッシュ豊橋(公式サイト)
https://www.arcriche.jp/