ホテルとアートの出会い

国宝3件、重要文化財13件
ホテル敷地内に建つ美術館の極み

オークラ東京

オークラ東京のロビー空間。格子天井の下に大型のシャンデリアが下がり、中央には岩と枝ものを用いた生け込みが配された落ち着いた雰囲気の内装。

海外流出から貴重な美術品を守った「大倉集古館」

ホテルオークラの創業者・大倉喜七郎氏の父、喜八郎氏は、明治維新直後の社会の混乱や廃仏毀釈で、日本の古美術品が海外に流出するのを危惧し、その蒐集に乗り出した。1902年(明治35年)には、現在はホテルが建つ当時の自邸の敷地に大倉美術館を建てて、買い集めた美術品を来客が鑑賞できるようにしている。

これをもとに、1917年(大正6年)に開設されたのが「大倉集古館」だ。仲間うちだけでなく、誰もが「大倉コレクション」を見学できるようにしよう。そう考えた喜八郎氏は、財団法人大倉集古館(現 公益財団法人大倉文化財団)を設立。こうして大倉集古館は名実ともに、日本初の財団法人による私立美術館となった(現存する私立美術館としては最も古い)。息子の喜七郎氏が、同じ敷地内にホテルオークラを創業したのは、1962年(昭和37年)。なんと集古館の設立のほうが、それより半世紀近くも早かったのである。

喜八郎氏は日本やアジアの仏教美術品を、喜七郎氏は近代日本画を中心に蒐集し、大倉集古館の収蔵品は充実していった。ところが、1923年(大正12年)の関東大震災で、建物と約3300点の収蔵品を失うことになる。

「今の大倉集古館は、その後に建てられたものです」と、マーケティング部の坂口さとみ部長。「建築家は、築地本願寺本堂の設計で知られる伊東忠太さんです。中国やインド式の建築を得意とする方で、新しい大倉集古館は、中国古典様式のインパクトある建物になりました。昭和初期には、鉄筋コンクリート建築はまだ難度が高く、あまり普及していなかったのですが、その鉄筋コンクリートで中国風の建物を造ったというので、当時、たいへん珍しがられたそうです」。

新しい集古館は1928年(昭和3年)に開館。第二次世界大戦の戦火にも耐え、1998年に国の登録有形文化財となった。建物自体が価値ある作品として認められたのである。

大倉集古館の外観。緑青色の屋根をもつ和風建築が前庭越しに見え、約2500件の美術品を所蔵する美術館として開館している。
美術品約2500件を所蔵する大倉集古館。開館時間は10:00~17:00(入館16:30まで)。

2016年から約4年間かけて行われた建て替え工事を経て、ホテルオークラ東京はThe Okura Tokyo(オークラ東京)として生まれ変わった。2つの新しい高層棟がそびえ、前庭には池を配したオークラスクエアが整備された。このとき、空間のバランスを整えるために、大倉集古館は曳家という工法で丸ごと約6.5メートルも、もともとあった場所から移動している。建て替えたほうが安上がりなほど、莫大なコストと時間をかけてでも、オークラ東京は伊東忠太の集古館を残す道を選んだ。それはこの歴史的建造物そのものの美と価値を、ホテルがどれほど大切に考えているかというメッセージでもあった。

際立つ存在感。アートイベントへの支援と協働も

東京では毎年秋に、都内最大級の現代アートイベント「アートウィーク東京(AWT)」が行われており、オークラ東京はこの催しを4年連続で支援している。2023年からは、AWTの目玉企画であるAWT FOCUSも大倉集古館で開催された。

AWT FOCUSは、現代アート作品の展示を鑑賞し、気に入ればその場で買えるという画期的なプログラムだ。100年の歴史を持つ大倉集古館に、最先端のコンテンポラリーアートが集結。伝統と革新が融合するその世界観が、いかにもオークラらしいと高く評価されている。

モノからコト(体験型)への消費のシフト、没入感というキーワード、ホテルが「寝る場所」から「自分らしいライフスタイルで過ごす場所」へと変わりつつあること。こうした要因から、近年、アートスペースを持つホテルや、アート体験などで差別化を図るホテルが、国内でも少しずつ増えてきている。それでも、国宝3件、重要文化財13件を含む本格的な美術館を敷地内に持つオークラ東京は、やはり出色だ。

伝統的なアートの要素は、ホテルそのものにも詰まっている。世界的なホテル協会組織であるThe Leading Hotels of the Worldは、デザイン性に優れた加盟ホテルを特集する本において、10ページという破格のページ数を費やしてオークラ東京を紹介した。

「伝統的なアートやデザインについては、日本以上に海外から注目されているようです。建て替え工事のときも、『オークラ東京のロビーを守れ』というムーブメントが巻き起こり、世界中から6000筆以上の署名が集まりました。アート作品と呼べるかどうかはわかりませんが、多くのお客様に日々利用されてきたロビー自体が、日本のミッドセンチュリー建築の最高傑作として、世界中の皆さんから愛されていたのだと思います」(坂口さん)

かつて旧本館ロビーを飾っていた吊り下げ式の照明も、梅の花のように並べられた丸テーブルと椅子も、世界時計も、当時の意匠は寸分たがわず、新しいプレステージタワーのロビーに再現されている。

梅の花のように並べられた丸テーブルと椅子、吊り下げ式照明が連なり、往年の意匠を現代に再現したプレステージタワーのメインロビー
大型の生け花と階段を配した、広がりのあるプレステージタワーのメインロビー空間
館内ツアー「ヒストリー&デザイン」で、プレステージタワーの意匠や照明について説明するスタッフと参加者

往年の美しさを現代に再現したメインロビー(プレステージタワー)。館内ツアー「ヒストリー&デザイン」も好評。

ホテル館内の装飾それ自体がアート作品のよう

日本画家の東山魁夷、シュルレアリスムの画家ジョアン・ミロー、墨の表現を追求した美術家の篠田桃紅(しのだとうこう)、日本画家の上村松篁(うえむらしょうこう)……。宝石のようなアート作品は、廊下や客室を含む館内の、至るところに散りばめられている。その数およそ240点。まるでホテル全体が美術館のようだ。

オークラヘリテージウイングのロビーで、訪れる人を出迎えてくれるのは、藤の花をモチーフにした流れるようなクリスタルガラスの装飾。レバノン出身の建築家リナ・ゴットメ氏の作品Wisteria’s Shadowだ。エレベーターに乗り込めば、世界的な折り紙作家、布施知子氏の作品と出会えたりもする。

日本の古美術を守ることは、大倉集古館を築いた大倉喜八郎氏の信念だった。息子の喜七郎氏がホテルオークラを創業したとき、「日本独自の美を世界に伝えたい」という強い願いを形にするため、建築家の谷口吉郎氏が中心となってホテルづくりに取り組んだ。その息吹はまた、吉郎氏の長男で世界的建築家の谷口吉生氏の手によって、生まれ変わったオークラ東京のメインロビーやオークラスクエアに受け継がれている。

「私たちのホテルにとって、日本のアートや美意識を大切にすることは、お客様へのおもてなしと同じくらい重要なことなのです」。坂口さんの言葉は、オークラ東京とアートの固い絆を率直に物語っていた。

天井の開口部から垂れ下がる、藤の花をモチーフにした紫色のガラスパーツによるシャンデリア(リナ・ゴットメ氏の作品)
リナ・ゴットメ氏による藤の花を模したシャンデリア
平安時代の和歌帖「三十六人歌集」の料紙をモチーフに、金箔調の文様や色面で構成された横長の壁面装飾が施されたロビー空間
平安時代の和歌帖「三十六人歌集」の料紙をモチーフにした壁面装飾。旧ホテル宴会場から再利用
篠田桃紅による抽象作品。黒を基調とした抽象的なフォルムの作品が、額装され館内壁面に展示されている。
布施知子による折りの造形作品。青の濃淡で構成された幾何学的な構図が、ホテル館内の壁面に展示されている。

館内のあちらこちらに珠玉の作品との出会いがある(左:篠田桃紅作、右:布施知子作)。

取材・文/田中洋子
(2026.02 Vol.754)

オークラ東京(公式サイト)
https://theokuratokyo.jp/ja/