上方落語にはまり、師匠に入門。ついにプロの噺家へ
私が生まれ育ったのは北米大陸のほぼ真ん中、カナダ・マニトバ州の州都ウィニペグという街です。家族とは英語で話し、幼稚園から高校までフランス語の学校に通い、さらに高校1年からは日本語の授業も受けました。
千葉県佐原市出身の先生からは、初歩の日本語に加えて、放課後に日本の映画を観たり日本料理を食べに行くなどの特別授業を受けました。
日本に関心を持った私は、大学時代の4年間、日本料理店でアルバイトを続け、卒業と同時にワーキングホリデーを利用して念願の初来日を果たしました。
それがちょうど2001年の9月のこと。
9・11テロの10日後、空港はまだ大混乱のさなかで、家族に反対されながらも、私は150㎏の荷物を持って日本の地を踏みました。以来、英会話教師としてアルバイトしながら、たまに立ち寄る居酒屋で周りのお客さんと交流し、日本語や日本の文化を吸収したのです。
初めて落語に触れたのは、2011年のこと。日本人の友人から見せられた桂枝雀さんの映像でした。
オーバーアクションで有名な枝雀師匠の落語は衝撃的におもしろく、それが縁となって落語にはまり、アマチュアの英語落語のクラブにも入会。来る日も来る日も落語を聴き、プロの落語家の手伝いをしながら自分でも趣味で落語を始めてしまいました。
5年後の2016年、桂福團治師匠の落語会の後、師匠から偶然話しかけられたことがきっかけでアロハシャツのまま高座に上がりました。英語で「寿限無」を演じたところ、師匠から「あんた、噺家になるといいよ」と言われ、意を決して自分の師匠になってくれませんかとお願いしたところ、入門を許してくださったのです。それから2年間、師匠の家の掃除や手伝い、着物の支度、寄席のお供などの修業を経て、桂福龍として独立しました。
現在の持ちネタは、日本語が約10話、英語では100話近くになります。学校寄席では英語落語を通して子どもたちに英語と日本文化の両方に関心を持ってもらえればと思っています。2年前にはカナダに里帰りし、ウィニペグの和太鼓クラブや三味線クラブとコラボした独演会で落語を披露しました。
インバウンドが増えてきた今年は、5月にオープンしたばかりの相撲エンタテインメントショーホールでの仕事も決まっていて、忙しくなりそうです。
取材・文/井上雅惠
(2024 4/5/6 Vol. 747)
桂福龍●カナダ・マニトバ州出身。日本文化に興味を持ち、2001年に来日。英語を教えながら日本語や文化を学ぶ傍ら、カナダで培ったパフォーマンス経験を生かし、パーティーやイベントなどに出演。2011年に英語落語と出会い魅了される。日本語の落語にも挑戦したいと考え、2016年に桂福團治一門に入門。正式に桂福團治の11番目の弟子となり、桂福龍の名前をもらう。