ホテリエの現場から

奈良ホテル
古都・奈良の伝統文化を掘り起こし地域全体の魅力を発信

日本の歴史の源流である古都・奈良。世界遺産をはじめ、伝統工芸や食文化など豊富な観光資源に恵まれる地でもある。そうした中から、地元が誇る伝統文化をていねいに掘り起こし、新たな魅力として紹介していく取り組みが、奈良ホテルから始まっている。

大和絣の展示の様子。染織作家の亀山知彦さんが自らショーケースにディスプレイした。

復元された幻の大和絣をホテルのショーケースで展示

関西の迎賓館と呼ばれ、世界中の王族・皇族、名士たちを迎えてきた奈良ホテル。2024年に創業115年を迎える同ホテル1階ロビーには、訪れた人にホテルの歴史を紹介するショーケースが常設されている。2022年9月、そのショーケースに「大和絣」という聞き慣れない織物が展示された。

「コロナ禍でもできるSDGsの取り組みが何かないかと探していたところ、フリーペーパーの記事で大和絣を見かけたんです」と話すのは、この展示を企画した営業本部営業企画課の津川あかね氏。

大和絣は江戸時代に現在の御所市で生まれ、明治時代にかけて木綿白絣として生産のピークを迎えたが、1960~70年代に後継者不足と人々の洋装化によって生産が途絶えた伝統的染織だ。幻と呼ばれたこの大和絣を、2020年に斑鳩町在住の染織作家・亀山知彦さんが復元したとのニュースだった。

「奈良には奈良晒などの麻織物がありますが、木綿絣でもこんなに美しい製品があったことを、当ホテルを訪れる全国のお客様に知っていただけたら、と展示を決めました」と津川氏。

展示を見た宿泊客からは「奈良にこんな絣があったなんて初めて知りました」との反響も。ホテルのSNSで展示を知った地元の方から「見に行ってもいいですか」と問い合わせも相次いだ。

「亀山さんの取り組みを、ホテルとして応援したい。もし可能なら、大和絣という織物を後世に遺す意味でも、ホテルの備品などに加工して末永く展示できないものか、とも夢を広げています」と展示の成果を振り返る。

また、一刀彫、高山茶筌、赤膚焼、墨など、地元奈良に息づく伝統文化への応援は、今回一回きりというのではなく、息長く継続し、奈良ホテルを訪れるゲストを通して世界中に紹介していきたいとのことだ。

十字や井形の藍染模様が特徴的な大和絣。
館内レストランでは定期的に、赤膚焼の器を使って料理を提供。ロビーには一刀彫や赤膚焼など奈良の工芸品が飾られ、買い求めることもできる。

「一泊では物足りない」と感じていただくための取り組み

日本でも指折りのクラシックホテルであり、かつ奈良県を代表するホテルとして常に注目を浴びる奈良ホテルでは、自社だけでなく奈良県全体の観光事業を盛り上げていくという使命を帯びている。

それに応えるべく、2023年度に実施されたのが体験イベント「奈良をつなぐ・チェーンなら」。“一泊では物足りない奈良を知ってもらおう”というコンセプトのもと、奈良県内のさまざまな市町村に根づく文化や産業、食品などに親しんでもらう取り組みだ。

例えば、そうめん発祥の地である桜井市の魅力を映画監督・河瀨直美氏によるPR動画で紹介し、宿泊客に三輪そうめんを振る舞ったり、ホテル内テラスガーデンに金魚すくい体験の場を設置して、金魚養殖で有名な大和郡山市を紹介したり。海外からのゲストも含め、「まるで縁日のよう」と楽しむ声が寄せられた。山添村を紹介する5回目のイベントでは、地元野菜を中心にしたメニューを考案、村製造の和紅茶を添えたランチセット「山添プレート」を、ティーラウンジで1か月以上にわたって提供した。

ほかにも木材の十津川村、吉野葛の吉野町など、全6回にわたり、実際に訪れたくなる市町村の魅力をホテルにいながら体験し味わえる内容で、手応えもあったという。

「奈良県は北部に観光地が集中していますが、南部にも多様な自然や文化、産業を育む地域があります。これからの観光は、地域共生なくしてはありえません。このイベントを通して、『次に来るときはもう一泊しますね』と言っていただけるなど、関心を持っていただけた実感があります。将来的には奈良市内のホテル全体でこのようなイベントに取り組んでいきたいと考えています」

テラスガーデンで実施した金魚すくいは子どもたちに大人気。
農業が盛んな山添村の魅力を紹介するため、シェフが視察に出向き生産者の声に耳を傾ける。

創業115周年の歴史を刻むホテルだからこそできること

「当ホテルの企業理念として、“唯一無二の非日常的な空間を舞台に(中略)お客様に期待以上のご満足と感動をお届けし、永く愛されるホテルを目指す”というものがあります。115年の歴史がつくり上げたこの空間は、ほかでは体感いただけないものだと自負しており、大和絣の復元のような取り組みは、こうした理念にも即していると感じています」と、津川氏。

奈良ホテルでは、創業115周年となる2024年を「ホテルの歴史を未来へ受け継ぐイヤー」とし、1909年創業当時のレジスターブック(宿帳)の修復、保存、解読を通してホテルの歴史と伝統をより正確に記録し、後世へと伝えていくことを宣言している。

また、今年はホテルの設計者である辰野金吾氏生誕170年にも当たることから、創業時の赤レンガをコースターに再利用する試みのほか、115周年記念写真展開催などを予定。

レストラン部門でも、以前から取り組んでいる奈良県産の日本酒「奈良酒」の飲み比べイベントや地元野菜のメニューに加え、ホテルの歴史的要素を取り入れたプランを発表していくとのこと。

伝統とは、常に新しいものへの挑戦を土台に築かれるといわれる。地域に根づいた文化や風土にもう一度目を向け、新しい魅力として紹介していく取り組みは、奈良ホテルの新しい歴史を作っていく力となりそうだ。

115年間で数々の賓客をもてなしてきた奈良ホテル。アインシュタイン博士が宿泊したときに弾いたピアノはロビーに常設されている。
奈良産の日本酒と日本料理のペアリングを楽しめるイベントでは蔵元の方から直接、話を聞くことができる。

取材・文/井上雅惠

奈良ホテル(公式サイト)
https://www.narahotel.co.jp/